クラッシュ (バンド)
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クラッシュ(The Clash)は、1970年代にパンク・ロックで若者たちを先導した音楽グループ。
彼らのファッションや発言は当時リーダー的なものとなった。セックス・ピストルズがプロデュースされたグループであるのに対して、彼らは自然発生的に結成された。1st、2ndアルバムは音楽的にパンク色の強いものであったが、徐々にレゲエやダブ、ロカビリーといった様々な類の音楽も取り入れるようになる。
しかし、メンバーの入れ替えもあり、賛否両論が生まれる。ジョー・ストラマーは若者の代弁者たるべく、怒りをエネルギーとしようとした。それに対し、ミック・ジョーンズはロックスターを目指すことになる。そのジレンマに苦しんだリーダーのジョー・ストラマーは最後にはグループを解散する。
ジョー・ストラマーはソロとして活動したが、2002年12月22日にサマセット州ブルームフィールドにある自宅で心臓発作で死去。
彼らの代表曲のひとつである「アイ・フォート・ザ・ロウ」(オリジナルは、アメリカの伝説的なロックンローラーであるバディ・ホリーのバックバンドをつとめたクリケッツ。同曲はクラッシュ以外にも様々なアーティストがカバーしている。
アメリカのロック・バンド、ボビー・フラー・フォーが60年代にヒットさせたヴァージョンは特に有名)は、2003年まで日産・エクストレイルのCM曲として使われており、日本人にも知名度が高い。日産車のCM曲ばかりを集めたCD「
SHIFT−NISSAN CM TRACKS−」(MHCP148)にも収録されている。
クラッシュはパンク、ロックを越えた社会運動を作り出した。ロンドンでは英連邦に所属した地域のマイノリティが貧困の中に生活していた。ジャマイカからの移民もマイノリティの一つとしてロンドン市内にコミュニティを形成していた。
不況、失業、社会の不平等を音楽を通じて表現していたクラッシュは、日曜ごとに集まるカリブ系移民のコミュニティに呼応し、しばしば活動をともにした。この活動がレゲエに傾倒していくきっかけになった。
労働組合活動、学生運動とともに民族的マイノリティの活動は警察権力からの弾圧を受けることがあり、クラッシュも弾圧の現場に弱者の立場としてかかわっており、このことがクラッシュの国家との対決姿勢を色濃くさせている。ロックという表現が社会の変革にあるならば、クラッシュの目指したものはそこだったと言えるだろう。