ボブ・マーレィ
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ボブ・マーレィ(1980年5月30日のスイス・チューリッヒ公演より
ボブ・マーレィ(Bob Marley, 1945年2月6日 - 1981年5月11日、本名ロバート・ネスタ・マーリー、Robert Nesta Marley)は、ジャマイカを代表するレゲェ音楽家。キング・オブ・レゲエと呼ばれる。深い精神性を有するその音楽は、ラスタファリズムの思想を背景としている。
年譜
1960年代初頭に音楽活動を開始。バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュらと共にウェイラーズを結成する。音楽スタイルをスカ、ロックステディ、レゲエと変遷させていく。
1972年 ウェイラーズがアイランド・レコードよりメジャーデビューを果たし、『キャッチ・ア・ファイア』でレゲエを世界に知らしめる。
1974年 エリック・クラプトンがカヴァーした『アイ・ショット・ザ・シェリフ』が全米第1位に輝き、オリジナル歌手の彼の名が世界的に有名になった。その後、バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュがウェイラーズから脱退した。
1975年 ボブ・マーレィ&ザ・ウェイラーズとして新たに活動を開始する。
1976年12月3日 政治闘争に巻き込まれ、狙撃される。亡命を余儀なくされる。
1970年代後半のジャマイカは、マイケル・マンリーが率いるPNPと、エドワード・シーガが率いるJLPとの2大政党の対立が激化し、しばしば流血の惨事が引き起こされていた。
1979年 ジャマイカに舞い戻り、"One Love Peace Concert"を開催する。このとき、コンサートを見に来ていたマイケル・マンリーとエドワード・シーガの2人の党首をステージ上に招き、和解の握手をさせている。音楽が奇跡を起こした瞬間である。
1979年には、かねてからの念願であったラスタファリズムの聖地、エチオピアを訪れている。このときの体験をもとにアルバム『サヴァイバル』を発表している。
1980年 黒人国家であるジンバブエの独立記念式典に招かれ、演奏を行っている。
1981年5月11日 ガンより死去。享年36。カリスマの早すぎる死であった。
ディスコグラフィ
キャッチ・ア・ファイア Catch a Fire (1973年)
バーニン Burnin (1973年)
ナッティ・ドレッド Natty Dread (1974年)
ライヴ! Live! (1975年)
ラスタマン・ヴァイヴレーション Rastaman Vibration (1976年)
エクソダス Exodus (1977年)
カヤ Kaya (1978年)
バビロン・バイ・バス Babylon by Bus (1978年)
サヴァイヴァル Survival (1979年)
アップライジング Uprising (1980年)
コンフロンテーション Confrontation (1983年)